今考える、中途半端な平和は正常か

相手に勝つ事。これが全ての進化と生存の源。捕食者はより獰猛で理知的に。被捕食者は圧倒的数で避けるか、逃げ果せるスピードか、静まりかえる擬態か、知性的には劣る。それでは被捕食者が絶滅する機会が多いか。違う。それは過ぎたる捕食者も同じ道を辿る。互いの進化は必須。生き残りの為の進化の力比べだ。生き残る事そこ全て。そこに半端な平和など入る余地はない。

人間には手段という手がある。武器、兵器だ。人間の技術力はそれを飛躍的に向上させた。原始的な生命体は、現在人間にまで進化した。それは戦いの果て。では平和は手にしたか?

人間以外の生命体は、選ばれた物だけが生き残れる。身体に問題が起れば、直接的に死に結びつく。
人間は思考と技術を得たおかげで、物体的には生き延びれない個体さえも生きさせる。人間だけが異なる部分。進化の一端だろか? それは平和を手にしたのか。

今この時も、人間対人間、人種間、宗教間、国と国、人は戦う。生命体の本能は殺傷の世界を常に地球上のあらゆる場所で発生させている。直接的殺傷にならずとも経済戦争の様に身の回り全ては戦い。進化した人類(仮にそれが進化だとして)の今でもなんら変わらない。
全ては相手に打ち勝つ事が生きる基本だ。勉強しかり、スポーツしかり、仕事しかり、全ては比較という戦い。
常に勝者と敗者がいる世界に変わりはない。人間が手にした技術。その頂点にいるのは兵器の技術。戦いの技術。最新テクノロジーは国家を巻き込んだ兵器産業から進化して行く。戦略・戦術は軍隊=国家の考え。全ては戦い争いに勝つ事が基本。

勝ったものだけが生命体の存在に貢献した事になる。勝者こそ存在理由。
中途半端な平穏と平和だけを信じたい日本人に一番欠けている問題。
被捕食者サイドで攻撃をかわすアイディアを研ぎすますか、捕食者サイドで知恵を絞るか、いずれに生まれても新しい事にチャレンジし貢献せずして生きる理由なし。

テーマ : ひとりごと
ジャンル : その他

結婚30年目の今日、そしてkokotonMAMA



今日で結婚して30年。短かったなぁ。あっという間。
重病もしたり、いろいろあったけど川の流れの様に自然に時は過ぎた。
ありがとう。


kokotonMAMA.jpg
先日の野鳥撮影時のkokotonMAMA






テーマ : ひとりごと
ジャンル : その他

赤いパンツ事件!

赤いパンツ、下着の方だぞボクサータイプの。持ってるんだよね、赤系はボトムでもシャツでも持っているから個人的には赤のウェアは何の不自然感も無いのだ。

それは夏休みの避暑、万座温泉での出来事だった。

kokotonPAPAは下着の赤いパンツを穿いていたんだ。そう、温泉でね。
そこは脱衣場。他には30代とおぼしきお父さんと、3歳前後の男の子がいた。

その子がチラチラとこっちを見ているのはわかっていた。そして、その子はパパに聞かざるを得なくなった。よっぽど不思議だったんだよ、きっと。

「パパ、あの人って女の人? ママと同じパンツ穿いてるよ」

kokotonPAPAは心の中で大爆笑!!! お父さんが真っ赤な顔をして何か言ったのだが、あたふたしたセリフで覚えていない。まともに言葉になっていなかったのは確か。こっちに言い訳の様な謝りの様な。でも言い訳っぽかった。

笑っちゃうでしょ。真っ赤になった訳が。

何っ? 赤いパンツ穿いてる方がおかしい?って? いいじゃん、赤は活力の元だ。
そんな事、気になる?! 人の目何か気にして生きるなんてkokotonPAPAには出来ないゼ。

テーマ : 楽しく生きる
ジャンル : ライフ

野鳥と人間の関係について 考えると…

おれはフォアグラを取られるガチョウさ。
ん、野鳥じゃなければ興味ない? でも食った事あるだろ?
生まれた時から檻の中。野鳥?外の世界?見た事も無い。でも野鳥もガチョウも鳥には違いは無い事くらいは知ってる。

ある年になると、強制的に口にホースを突っ込まれてトウモロコシを食いたくないほど流し込まれる。強制給餌ってやつだ。無惨な格好だぜ。死ぬほど突っ込まれて、あっという間に肝臓病にされる。そして殺される。見てくれよ。
http://ガチョウの強制給餌

人間はオレを肝臓病にして、その脂肪肝をフォアグラとして食う。
生まれた時から重病にされて殺されるだけの生命。それってなんだ。親子代々そうやって生まれて殺される。人間が、あんたの家族一族がそうされたらどうする!? 平気か!?

人間は同じ鳥なのに野生は保護するのか。給餌禁止なんて言いながらな。野鳥は食っちゃいかんが、ガチョウは殺す為に生ますのか。
それだったら殺されるの承知でも野鳥として自然の中で生まれたい、せめて。
給餌禁止されてみたいよ。人間なんて自分勝手な奴らだ。

なんてガチョウは思うはずもないでしょうけど、もし人間だったら悲しいでしょ。
野鳥撮影なんかで 鳥の習性だの保護だの何だの偉そうな事言うなら、焼き鳥や鶏ガラ出汁の食事も食べないで欲しいよねェ。同じ鳥なんだからさ。極論かな。でも何か違うと思う今日このごろ。



テーマ : 独り言
ジャンル : その他

kokotonPAPAの21歳の時の様子 (爆)

21yo.jpg

先日片付けしてる時にkokotonMAMAが見つけた。kokotonPAPAが21歳の時の写真だ。 体型的には今も同じだな。当時の洋服を今でも着るから。
これはたしか広島の山奥にに行った時についでに撮ったんだよ当時からこういう態度だったんだ
要は何も変わっとらんと言う事か。

映画【MISHMA】総監督F.コッポラ、G.ルーカス を見たか!

殆んどの日本人は知らない大作MISHIMA(Mishima: A Life In Four Chapters)。もちろん三島由紀夫の事を画いた1985年の米作品です。
過去、DVDやVHSで一部マニアのみが海外から入手していた物です。(DVDはリージョンコードの問題があるのは当然ですが、そんなことは簡単に対応出来ますね)


総監督は表題の通りF.コッポラ、G.ルーカス。脚本/監督はポール シュレイダー、主演は緒形拳。米映画なのになんと全編日本語で英語字幕。上映時間2時間。英語のナレーターはロイ シャイダー!、日本語は緒形拳。三島自身の語りをしています。サントラは米現代音楽のフィリップ・グラス(Philip Glass)。
出演者は全て日本人俳優。佐藤浩市、坂東八十助、沢田研二、李麗仙、左幸子、永島敏行、三上博史、倉田保昭、平田満、勝野洋、根上淳、池部良、横尾忠則、烏丸せつ子、萬田久子、大谷直子、加藤治子、他にも驚くべき そうそうたるメンバー。これで日本未公開。(理由の噂は、ネット上に様々あるが真相は不明)

全四幕構成で、三島の生い立ちが全編をつなぎます。一幕から三幕は三島の作品から、「金閣寺」、「鏡子の家」、「奔馬」。第四幕では楯の会と三島の終焉を描かれます。
三つの作品はそれぞれ三島の心を映していると思われる特徴的なコンテンポラリーなセットで表現されます。

これ以上書くのはやめておきましょう。もちろん感想も。
実は本作品を入手するチャンスが一回だけ有りましたね。2010年11月25日に「三島由紀夫と一九七〇年」(鹿砦社)と言う三島由紀夫特集が刊行されたのです。趣旨は付録で付いてきた参考書料映像と題されたDVD(MISHIMA本作)にある事は明白でした。
三島由紀夫と一九七〇年

多分もう入手困難と思われる一品です。どういういきさつでこれが発刊されたのかも良くわかりません。【後日記】なんと再発売されました!


ちなみにkokotonMAMAに言わせると、三島の作品を知らなければ(読んでいなければ)全く意味不明 との事。なるほど、と思う。ちなみに米興行は大惨敗。

kokotonPAPAは中高と三島由紀夫フリークだったのですね。世界三大名作は三島由紀夫の「豊饒の海」、ロレンス ダレルの「アレクサンドリアカルテット」、そしてマルセル プルーストの「失われた時を求めて」、と今でも思ってますし ベストは三島由紀夫の「春の雪」。(海外作品の訳による問題にここで触れるつもりはありません)
高校生の時、忘れもしない三島のあの日 1970年11月25日が訪れました。その後、天人五衰の発刊をみて自然と読書から足が遠のいていったのは事実ですね。

三島由紀夫、そしてかつてあれ程の本を読んだ事は頭の片隅。kokotonPAPAの誕生日の今日、投稿してみました。

負けから学ぶ?

それってあるのかな? ホント?
もちろん有るんだろうけど、kokotonPAPA的にはちょっと違うと思うんだよね。
基本的には負けよりも勝ちから学ぶ事の方が多いんだよね。だから、負けたら”負けから学ぶ”んでしょ。
勝った際には学んでいる訳ね、勝ちパターンである成功体験とか、達成感を。その方が圧倒的に重要なんだ。

勝ち味を知った人間は目標目指して、あらゆる手だてを取るね。パターンも知っている。勝利の美酒は、勝利したものだけが知る味なんだよ。だからその為には努力を惜しまない。人間それを覚えないと。勝ち味と達成感。
それが有れば、目標を目指す圧倒的なモチュベーションになり得る。負けからさえも学べるのよ。

負けが多ければ負け癖が付くだけ。諦めも早くなる。努力の価値観も値下がりする。そこからは、反省はあっても学びとは違う。反省は後退を止めるブレーキには成るかもしれないけど、邁進にはほど遠い。その反省さえパターン化して形骸化するね、きっと。負け犬。

だから負け癖をつけるなよ。努力に満足度を得ようとするなよ。”これだけ努力したんだから 仕方ない….." なんて良く言うけど考えられない。自分への言い訳だろう。
”こんなに努力したのにクソ悔しい!” って、kokotonPAPAなら思うけどな。

一般人は勝ち負け半々でしょ。そうなると負けから学ぶなんてのんきな事言ってらんないんじゃない? 努力したなら勝ちや達成にこだわろう。勝ち味に浸らずに 負けから学ぶ 事なし!

テーマ : 生き方
ジャンル : ライフ

ばれてるゼ、日本人の国民性

震災が起きるたびに世界で語られる日本人の我慢強さや、忍耐力、統率性。
でも今や世界の知識人の間では、自らは何もできない国民性と言われてるよ。
これだけの事態でも国民は沈黙のメジャリティー。国に詰め寄る出なく、政府に対する意識調査も何の反映もなし。東電は子会社へ送り込んだ役員もそのままに高額所得者。除染まで自分の所の系列が請け負う。ライフラインを握っている会社は国も制裁が甘くなる。電気料金から寄付金を公共機関に寄付金として上納しているからね。使用量金に寄付金まで含んでるんだよ。一般企業、例えば家電メーカーがそんな事やったら大問題だよね。でも、OK。

みんな知ってるのに動く訳じゃない。忍耐強いんじゃないよね。動かない、待ち。
基本は常に”待ち”、何があっても”待ち”、とにかく”待ち”、やらずに”待つ”の国民性。みんな一緒に最悪の機会でも待つ、そして待つ。誰かやってくれる。廻り見てご覧よ、仕事だって遊びだって同じでしょ。
危険覚悟で言うならば、戦争するって言ったらまたやるかも。指示されたら反旗を翻せる訳でもない。一人が行けばみんな行く。お店に長蛇の列を作るのだって同じ。みんなが同じ指向(嗜好?)なんて事も無いはずなのに。

じゃぁボランティアは? ずいぶん浸透したよね。良いよね。でも、それは優しさの部分。弱い人に優しくする。一人が行けばみんな行く、良いケース。
でも方向転換が必要な解決にはつながらない。強いヤツに立ち向かわなければ方向性は変わらないんだよ。

単一民族で無信教に近い農耕民族、そして島国、これこそが真の日本人的性格を構成しているんだろうねぇ。農耕民族は善くも悪しくも突出しない事が大切。みんなと似たり寄ったりが一番平和で何より大事。島国の環境もそれに輪をかける。争ったり、戦ったりはダメ。
世界で一番の紛争の元である民族間対立や宗教対立に縁がない。戦わなければならない必然性を理解するのは難しい。その辛い気持ちすらわかる訳も無い。日本人にシオニストはいるかと言う問題を学生時代に論じた事がある。いる訳が無い。身を以てシオニズムを感じた事の無い者にその真意など本でわかる訳も無い。

でも狩猟民族はそんな事言ってられない、狩りが出来なければ自分たちだけが飢え死にするんだから。国がつながっていて、民族対立や宗教対立があれば尚更立ち上がらなければやられちまう。妥協なんて無い。暗黙の了解なんて通じない。NoはNoなのだよ。

将来の子供たちに何かを残してやらなければならないなら、自分自身が変わらなければ何も変化しない。大事な者を守るにはどうすればいいか。何を相手に動かなければならないか。日本人が変わらなければ日本はないんだよ。以前、アメリカ人の評論家が再び核攻撃を受けるとすれば、また日本だろうと言っていた。シチュエーションは忘れたが、その言葉だけが頭に残っている。

多分これを読んだ人はまず思う、そして言う「そういうお前はどうなんだ!」と。この言葉こそがみんなと同じじゃなきゃ生きられない証拠。人の事をとやかく言う事しかまずは浮かばない。気に食わなければ挙足取り。
日本人はディベートが下手だと言われる。それは、危なくなると相手の人格攻撃に走るから。一番の約束違反。

アメリカ人と拙い英語でも良いから、そういう話をしてみたら? 彼らはすぐ言うよ、「俺なら・・・・!」って自分の意見をね。人の言った事にケチ付けるより自分の考えが大事だから。independent spirit。

kokotonMAMAに聞けばkokotonPAPAの性格はすぐわかる。「ろくな人間じゃないって?!」
でもね、尖った性格は守るべきモノを大切にする。自分が守るべきMin.Unitが何かはわかっている。その時は、躊躇無く全てを捨ててでも行く。それが守れずして何を守れると言うのだろう。

このところ、すこし心の中にある事を文字にしてみた。

テーマ : 独り言
ジャンル : その他

亡き友へ

そうそういつも会える訳じゃなかった。でも、大切な友達だった。
ぶっきらぼうで、優しい友達だった。心から友達だった。
会いたいなぁ。
でも、会えない所へ行っちゃたんだね。でも.....、もう一度 会いたい。

全く最近の若いヤツは......

偉いな。以前に較べて電車で席譲ったり、被災地にボランティアに行ったり。最近は若い連中の良いところを見られる気がする。
あえて誤解を恐れずに言うと、最近はご年配の方が....な気がする。今回も必死に買い漁りしていらっしゃったのも見ているし、趣味の世界でも模範足るべき歳の方が目を覆いたくなる様な傍若無人さ。もちろん大多数は違うのだが、以前よりも目立つ気がして仕方ない。
時代が変われば、人も変わる。若い連中の言葉遣いうんぬんと言う話が良く出るが、そんな事は意味ない。今時、江戸時代の言葉遣いをしている人間など居る訳も無い。文化は時代とともに変化するのだ。
そう言う意味ではこれまた時代の流れのなせる技か。
プロフィール

kokotonPAPA

Author:kokotonPAPA


ものずき、おっさん じいさん、わがままきまま、すきほうだい、しななきゃなおらない.

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1.このblogで言う現代音楽

2.マーラー交響曲第5番 160CD
 (名盤・珍盤 聴き比べ)

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