ジュリアナ・ハドキンソン(Juliana Hodkinson)の注目作「Angel View」by セナテット(SCENATET)
ジュリアナ・ハドキンソン
(Juliana Hodkinson, b. 1971)
(Juliana Hodkinson, b. 1971)
活動の拠点をベルリンに置く英女性現代音楽家でデンマーク現代音楽とのリレーションが強いですね。
エレクトロニクスやフィールドレコーディング、多彩なobjectを使い、voice・歌唱も入れて、ヴィジュアル展開が大きく、統合芸術やインスタレーションのスタンスが明確です。
英ケンブリッジ大学で音楽と哲学を、シェフィールド大では日本について学んだ変わり種ですw その後デンマークに渡りコペンハーゲン大で "音楽とサウンド・アートにおける沈黙" で博士号を取得。H.アブラハムセンやT.ミュライユと言った音楽家にも師事しています。
現在は指導者として、また様々な機関での活動も精力的に展開している様ですね。
エレクトロニクスやフィールドレコーディング、多彩なobjectを使い、voice・歌唱も入れて、ヴィジュアル展開が大きく、統合芸術やインスタレーションのスタンスが明確です。
英ケンブリッジ大学で音楽と哲学を、シェフィールド大では日本について学んだ変わり種ですw その後デンマークに渡りコペンハーゲン大で "音楽とサウンド・アートにおける沈黙" で博士号を取得。H.アブラハムセンやT.ミュライユと言った音楽家にも師事しています。
現在は指導者として、また様々な機関での活動も精力的に展開している様ですね。
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Angel View
SCENATET
SCENATET
デンマーク前衛アンサンブルのセナテットによる委嘱作品でハドキンソンの代表作です。このパフォーマンスの存在は知られていたわけで、'やっとリリースされたね!!' と言う印象です。(レンスホルトとの共作 "Fish and Fowl" インプレ時にちょっとだけ紹介しています)
とにかく媒体化の少ないハドキンソンです。
抽象表現の多い本人曰く「都市と音楽の残骸、どこかの無声のラジオやフィルムのサウンドトラックや劇場音楽と言った集合体」だそうです。
演奏はもちろんセナテット、録音は2014年5月11日。
その2014年のオリジナルはセミ・ステージ形式パフォーマンスですが、その後2016ver.ではマルチスクリーン形式になって、2018年(SPORフェスティバル2018)では映像作家とのコラボでアートビデオ・インスタレーションとして紹介されています。
とにかく媒体化の少ないハドキンソンです。
抽象表現の多い本人曰く「都市と音楽の残骸、どこかの無声のラジオやフィルムのサウンドトラックや劇場音楽と言った集合体」だそうです。
演奏はもちろんセナテット、録音は2014年5月11日。
その2014年のオリジナルはセミ・ステージ形式パフォーマンスですが、その後2016ver.ではマルチスクリーン形式になって、2018年(SPORフェスティバル2018)では映像作家とのコラボでアートビデオ・インスタレーションとして紹介されています。
■ Angel View, for ensemble and electronics (2014)
CDで聴くのも楽しいのですが、彼女の作品は視覚の刺激もセットでしょうからYouTubeでどうぞ。
本CD録音同日のパフォーマンス・シーンです
2016ver.(teaser)は → こちら
まずはオーディエンス入場シーンからメンバーがコンクリートブロックを叩いてパフォーマンスが始まっています。実はCDはその音は極短く、そしてその後も19パートの構成が映像のパフォーマンスとは異なっています。
流れは"音"で、特殊奏法やobjectによるノイズ、グリッサンド、ライヴ・エレクトロニクスによる混沌やフィールドレコーディング、と言った前衛技法が静空間の中に出現します。
動機や主題と言ったクラシカルな概念はありません。時に旋律感を出しますが基本は"鳴っている"です。
楽器編成はva, vc, fl, gt, tb, pf, perc.の7人とエレクトロニクス担当ですが、互いの関連性は静的でトゥッティの様な強音は存在しませんね。そして時にテーブルにあるobjectの対応をします。強音を叩き出すのはperc.だけです。
映像がないとわからないパフォーマンスがキーになるでしょう。例えば鳴らすふりだけで実際には鳴らさない、ヘアドライヤーによる紙吹雪、それらはCDでは絶対にわかりませんからw
要は聴くとか観るとかではなくこの中に居る事を楽しむ世界でしょう。
本CD録音同日のパフォーマンス・シーンです
2016ver.(teaser)は → こちら
まずはオーディエンス入場シーンからメンバーがコンクリートブロックを叩いてパフォーマンスが始まっています。実はCDはその音は極短く、そしてその後も19パートの構成が映像のパフォーマンスとは異なっています。
流れは"音"で、特殊奏法やobjectによるノイズ、グリッサンド、ライヴ・エレクトロニクスによる混沌やフィールドレコーディング、と言った前衛技法が静空間の中に出現します。
動機や主題と言ったクラシカルな概念はありません。時に旋律感を出しますが基本は"鳴っている"です。
楽器編成はva, vc, fl, gt, tb, pf, perc.の7人とエレクトロニクス担当ですが、互いの関連性は静的でトゥッティの様な強音は存在しませんね。そして時にテーブルにあるobjectの対応をします。強音を叩き出すのはperc.だけです。
映像がないとわからないパフォーマンスがキーになるでしょう。例えば鳴らすふりだけで実際には鳴らさない、ヘアドライヤーによる紙吹雪、それらはCDでは絶対にわかりませんからw
要は聴くとか観るとかではなくこの中に居る事を楽しむ世界でしょう。
従来の前衛"音楽技法"で括ろうとすると無理がありそうで、これぞインスタレーション系前衛でしょう。(演奏者と鳴らすモノだけなので実際にはパフォーマンスですが)
統合芸術へ向かうこの荒唐無稽さが近年のデンマーク前衛実験現代音楽ですね。他にもS.S-アナセン他、もっと極端に映像や仕掛けが無いと成立しない世界が待っています。
統合芸術へ向かうこの荒唐無稽さが近年のデンマーク前衛実験現代音楽ですね。他にもS.S-アナセン他、もっと極端に映像や仕掛けが無いと成立しない世界が待っています。