黛敏郎 の 涅槃交響曲 を聴きなおしてみましょう

今更これを掘り起こして聴き直すのは、一昨日NHKプレミアムシアターで放映された黛敏郎「金閣寺」を観たからですね。
言うまでもない日本を代表する現代音楽家 黛敏郎(1929/2/20 - 1997/4/10)さんの代表作です。正直に言うと、今ひとつ興味の沸かないと言うのが本音でした。聴き直したらどう感じるでしょう。
実験音楽の展開や右翼の話等々、割愛です。

Nirvana Symphony / TOSHIRO MAYUZUMI

涅槃交響曲 (1958年)
  第1楽章 - カンパノロジー I
  第2楽章 - 首楞厳神咒
  第3楽章 - カンパノロジー II
  第4楽章 - 摩訶梵
  第5楽章 - カンパノロジー III
  第6楽章 - 終曲(一心敬礼)

1958年と言えば前衛現代音楽の全盛期です。カンパノロジーとは音、この場合は鐘、をスペクトル分析して単音に分解した上で演奏する技術ですね。(鐘の音を再現するわけではありません) 後に欧エキスペリメンタリズムでスペクトル楽派と呼ばれる事になるのですが。(代表作:Tristan Murail/Gondwana)
空間音響系の音楽です。カンパノロジーは技術的には前衛で 調性もないでしょうが、ロングトーンの背景に短い旋律が各楽器により絡む展開は居心地の悪さを感じません。処々でクラスター的に発展していきます。
3つのカンパノロジーの後には、それぞれ声明(聲明:しょうみょう)の様な読経曲が切れ目なく繋がります。読経と合唱の和声は"和"から後半は"洋"、管弦は単音的やリズムで背景を飾りますが格別なものは感じられません。後半へ行くとカンパノロジーと一体化します。
カンパノロジーと読経合唱の流れは繋がって最後は合体? その二つの合体和声に何が? 結局そこと、合唱の読経自体が本来の寺院の聲明の特異な迫力と比べて今ひとつで良さが伝わりません。仏教宗教曲と現代音楽を上回る、または新しい何が待っていたのでしょうか。
当時の欧州前衛では作曲者の持っている背景、数学とか各国音楽和声とか、を重視していた事もあるのかもしれませんが、残念ながら素人駄耳にはその感性が無かった様です。

個人的に、どうも読経(聲明)と西洋現代音楽(非機能和声)を結合する事に拒絶感を拭えないだけかもしれませんが…
もちろん そこに興味のわく世界が出現すれば話は別なのでしょう。


このアルバムには後半に「薬師悔過(やくしけか)」という法相宗大本山 薬師寺の聲明が入っていますが、この和声の方が遥かに陶酔性を感じますね。

テーマ : クラシック
ジャンル : 音楽

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